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【それで良いんだ】「謝ったから許せ」に対する答えが腑に落ちた話

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こんにちはー、くー。です(`・ω・´)

子どもから大人まで人が複数いると仲良くできることもあればケンカすることだってあります。

ケンカをした後は多くは仲直りをするものですが「そんなすぐにできない」という経験をしたことはないでしょうか?

今回見つけたニュースではそんなときにスッと胸に落ちる話を取り上げられており、もしケンカなどでモヤモヤした気分のときに思い出してもらいたい内容となっています。

 

 

「謝ったら許せ」この主張に対する答えが腑に落ちた話

 

このニュースでは幼稚園年長の女の子がシスターから「謝ってもらっても自分の心が整うまで許さなくていい」という趣旨の話を聞いてとても胸に落ちたという内容が取り上げられていました。

ケンカなどの仲たがいはスッと仲直りできることもあれば「絶対無理!」とすぐには許せないこともあります。

「相手も謝っているんだし許してやって」と諭されることも多いためムカムカしているのに表面上は許さないといけない雰囲気になって嫌気が差したという経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。

 

謝罪の価値はした側ではなく、された側が決める

 

この話を聞いてふと誠意があったとしても自身が受け入れられないときの謝罪は『謝罪』といって良いか分からないと思ってしまいました。

例を挙げてみると「自分はこれからラーメンを食べるぞ」と思っている状態で何故かうどんを出されて怒っているという感じでしょうか(下手な例だったらすみません)

自分の中では「これだ」と考えが固まっていて現状受け入れられない環境にあるのに「それより食べろよ」と言われるのはどうですか?

このとき大抵の人はイヤだと思いますが「いい大人なんだから」「ここで断ったら空気が悪くなる」など変な気を回して仕方なく消化不良の状態でイヤイヤ食べることでしょう。

相手のいう謝罪は『相手にとっての謝罪』であり、受け手が思う謝罪と絶対同じとは限りません。

そのためニュースで取り上げられたシスターの話のように気持ちを無視して無理に相手を許さなくて良いということになるのではないでしょうか。

 

それでも意固地にならず真摯な謝罪には耳をかして

 

許す気持ちになるのも許さない気持ちになるのもその人の自由ですが、極端にずっと意固地のままというのはあまり良いことではありません。

多くは時間などが解決してくれますがずっと拒否の姿勢を取り続けるのは体力・精神ともに負担が掛かります。

ずっとその対象を注視するためには相応の労力が必要になり、事例によっては「それに力を注ぐより別のことに目を向けたほうが自分のためになる」ということもあるでしょう。

嫌なことに対して負のオーラをまといながら力を使うより好きなことに使うほうがきっと人生楽しく過ごせます。

ずっと頭の中を泥沼にしていないで嫌なことは一定の期間内で何かしらの結論を出し、あとは好きなことに目を向けてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

まとめ

 

人と人との関わりがあるなかで衝突は避けられない問題です。その衝突をいかに解決するかでその後のことが変わってくることもあり、多くは問題解決に努めることでしょう。

しかし「いまは無理」と思ったときに無理に受け入れる必要はなく、あなた自身が受け入れられるときに受け入れられれば良いという話はスッと心にしみるものがあった、くー。なのでした。

 

画像提供元かわいいフリー素材集 いらすとや 

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